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●伝説の秘宝・契約の聖櫃(アーク)
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旧約聖書に現れる「契約の聖櫃アーク」を知らなくても、数年前に大ヒットしたハリソン・フォード主演の「インディ・ジョーンズ」はご存じだろう。
あの映画は「聖櫃アーク」の争奪戦である。

「契約の聖櫃アーク」には絶対の力があり、それを手にしたものは世界をも征服することができると云われる伝説の櫃(ひつぎ)である。しかし、それは誰が持っても良いというものではなくユダヤ人だけのものである。ユダヤ人を「選ばれた民」というのはこのためである。

ユダヤの絶対神は「ヤハウェ」。  
人前に出現するときは、かならず、雷雲を伴う。
雲の柱であったり燃える柴だったりする。

ヤハウェの座が「契約の聖櫃アーク」であり、これも雷のような力を持っている。掟を破った者には容赦なく向けられる。それは正に厳格でちょっとしたミスも許さない。イスラエル十二支族で祭祀を司るのが「レビ族」である。
十二支族は領地を持ったがレビ族は他の支族に寄留し、絶対神ヤハウェの祭祀一切を取り仕切った。神道の神官と同じである。
そして、契約の聖櫃アークを担ぐのは、レビ族の中のモーゼの兄・アロン直系の子孫で「コハテ氏」の者だけに限定されており、それ以外の者が触れたら死ぬというのだ。レビ族コハテ氏でも戒律に従わなければ容赦はない。

聖書は記す。 
ある時、アロンの子供が祭祀を執り行いミスをしたー。
「アロンの子のナダブとアビフは、それぞれ香炉を取って炭火を入れその上に香をたいて、主の御前に捧げたがそれは主の命じられたものではない。規定に反した炭火であった。すると、主の御前から火が出て二人を焼き彼らは主の御前で死んだ」(レビ記第十章)たとえアロンの子であってもヤハウェは許さなかった。

古代ユダヤは遊牧民であり一ヵ所に定住する民族ではなかった。アークは移動式の幕屋と呼ばれる神殿で祀られ人々と一緒に移動してきた。
だが、古代イスラエル王国が成立したダビデ王の時、契約の聖櫃アークはエルサレムの神殿に運び込まれた。
このとき櫃(ひつぎ)を担いでいたのはレビ人だったが、傍にダビデの息子が付きそっていた。何かのはずみで櫃が傾いた。息子はそれを支えようとして、つい手を櫃に触れた。 瞬間、ダビデ王の息子は電撃に打たれて死んだという。
ダビデはレビ族ではない。王様の息子であれヤハウェは容赦しなかったのである。

アークは「船」という意味である。
●三種の神器
イスラエルには、三種の神器がある。
その第一が、契約の十戒を刻んだ「十戒石板」

その第二が「マナの壺」。 
エジプトを脱出し約束の地カナンに入るまで、絶対神ヤハウェは食料として「マナ」を降らせたという。
これは白いウェハースのようなものだと言われ、甘い蜜の味がしたが太陽が昇ると溶けたという。ヤハウェは、一オメル(二・三リットル)のマナを代々蓄えるようモーゼに命じた。これを入れた黄金の壺が「マナの壺」である。

余談だがー、
あなたの家の台所にマナ板というものがあるだろう。あなたはそれをなぜマナ板と言うのかご存知だろうか。この「マナ」とはヘブライ語で「食べ物」のことなのだ。ところが日本では、マナ板は「真魚板」と書き、新鮮な魚を・・・などと説明してご満悦の先生方がいる。真魚板・・これがマナイタと読めますか。当て字以外の何者でもないことさえ分からないのでしょうかー。


その第三が「アロンの杖」。
エジプトのファラオの前で生きた蛇になった杖だ。ナイル川に浸すと、蛙やブヨ、イナゴ、疫病が発生したり、燃える雨を降らせたりする奇跡の杖である。

この三つの宝物を収めた箱が、イスラエルの至宝「契約の柩」で 「聖柩アーク」といわれるものである。「聖柩アーク」とは、すなわち、イスラエルの「三種の神器」の事である。ではそれはどういうものなのか。

イスラエル人と契約した絶対神ヤハウェは、聖櫃の製作を命じた。
使用材・寸法・造る人まで、箱の造り方も指示した。
「アカシヤ材で作れ。寸法は、縦二・五キュビット、横一・五キュビット、高さ一・五キュビット、内側も外側も純金で覆い、金の飾り縁を作る・・・・」
(出エジプト記二十五章)


このアカシヤ材とは砂漠アカシヤで、棘があり素手ではつかめない。皮をはぐと硬質の白い木材である。一キュビットは、約四十四センチ。つまり、長さ一一〇センチ、幅と高さが六六センチのサイズの純金の箱である。そして、純金の「贖(あがな)いの蓋」を作り、その蓋に黄金で作った「ケルビム」を一対、配置した。
ケルビムとは、複数のときに使う言葉で一体のときは「ケルブ」という。これは天使を指しているようで有翼人間のような形をしている。それが二体、向き合っている。

箱の下端の四隅に金の環が取り付けられ、この環に棒を通して担いだ。
この棒は抜いてはならない。安置しておくときも差したままにしておくのである。
これをイスラエル人は担いだ。 担ぐ担当も決まっている。祭祀専門部族のレビ族の者に限定されていたのである。
●日本のまつり
このアークのレプリカが、日本の御神輿ではないかと云われている。
御神輿はアークと同じく下端の担ぎ棒が抜けるようになっている。
ところが、小屋に収められている時でも担ぎ棒は差したままなのである。

秋祭りでは、ワッショイワッショイと多勢の人間でにぎやかに担ぎ練りまわる。
この祭りの形が、イスラエル人の聖柩アークを担いで運んだ様と全く同じだというのである。

また、担ぐだけでなく引いていく山車の祭りもある。
ダビデ王がアークをエルサレム神殿に運び込んだ時、アークを車に積んで引いて行った。
山鉾で有名な京都の祇園祭が、聖柩アークを運んだ様子を再現したものではないかと言われている。
この山鉾の側面に描かれている色々な絵図ー、

そこに描かれているのは、砂漠、ピラミッド、ターバンを巻いた人、そして、見る人が見たら分かるという聖書の中の一場面までが描かれているのである。
それを見て、「なぜー?」と、
不思議に思わなかったのは日本人だけだったようなのである。
京都・祇園祭の山鉾
バグダッドを描く前懸⇒放下鉾
ラクダの前懸
鈴鹿山鉾
ピラミッドの前懸
浄妙山鉾
旧約聖書の創世記の場面を描いたという前懸
函谷鉾
祇園祭
祇園神(スサノオ・牛頭天王)を祀る祇園神社に奉納される祭礼である。
祇園信仰と関係のない神社の祭であるにもかかわらず「祇園」の名前が付けられている場合もある。
多くは7月から8月にかけて、疫病退散、厄除けを祈願して行われる夏祭りであり、総本社である京都の八坂神社(祇園社)のものを始めとして日本各地で行われている。

京都の祇園祭
都の八坂神社の祭りで、京都三大祭り(他は上賀茂神社・下鴨神社の葵祭、平安神宮の時代祭)、さらに、大阪の天神祭、東京の山王祭(あるいは神田祭)と並んで日本三大祭りの一つに数えられる。
7月を通じて行われる長い祭りだが、神輿渡御や山鉾巡行や宵山が中心となる。宵山、宵々山には旧家や老舗での宝物の展示も行われるため屏風祭の異名がある。山鉾巡行では文化財が公道を巡るため動く美術館とも例えられる。

一説には、869年(貞観11年)、疫病の猖獗を鎮める祈願を込めて、卜部日良麿が66本の矛を立て、神輿3基を送り牛頭天王を祀り御霊会を行ったのがその起源であるという。
970年(安和3年)から毎年行うようになった。
その後、応仁の乱や第二次世界大戦などでの中断はあるものの、現在も続いており、千年を超える歴史がある。かつては祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)とよばれていた。その略で、現在でも祇園会と呼ぶこともある


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不思議の古代史