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比較的新しい年代のピラミッド山・・23000年前ではない

灰原ルートの上り口看板

野谷コースから登ると
休息所に行当る
葦嶽山
●昭和9年、酒井勝軍が日本で始めて発見したピラミッド山。
所在/広島県庄原市本村町 標高815m

頂上からの眺望
●昭和9年5月、酒井勝軍はこの山の巨石遺構を調査、葦嶽山頂上から直径2メートルの太陽石を掘り出した。酒井は竹内文献の記述からこの山を2万3000年前のピラミッドと断定した。
●頂上
竹内文献に残る御神体石にこの山に係わる記述があったのである。
これらの施設は日来神宮(ヒラミット)と呼ばれるもので、この山を造ったのはウガヤフキアエズ朝のヤヒロドノ造天皇である。
つまり、古事記に現れるヤヒロドノとはピラミッドのことだと記されていたのである。この天皇の在位が2万3000年前ー、ここからこの年代が特定されたものらしい。

葦嶽山の頂上。いくつかのストーンが残っている
●酒井の発見した太陽石は軍部によって破壊されたという。
ーが、サンデー毎日の調査ではこの土の下に埋められているのではないかという。


立看板が当時を説明している
●拝殿の巨石
●発見当時、全国の新聞がピラミッド発見を報じ、この山は多くの見物客で賑わい、山には茶店まで出たという。
■ドルメン
■メンヒル
高さ約6m
この天空を指す岩はメンヒルである。伊勢神宮にあるといわれる心の御柱と同じ意味を持つ。別名、屏風岩とも云われ何体かの岩が屏風のように立ち並んでいたと云われる。
この石の下に神武天皇の財宝が隠されているという噂が流れ、大正の初めに倒されたという神武岩の残骸
鏡磐というからには光を反射するものだが、実際にはこの使用法は分かっていない。
■鏡岩
幅約7m 高さ約4m
神武岩の頭の穴
この方位石の割れ目が指す方位には現在の南北と30度の誤差があり、それが東西南北ではなく、冬至線を指していると解釈されている。
■方位石
高さ約2m
ひとつの巨石を4つに断ち割った物
方位石のすぐ後にある岩で獅子の顔に似ているところから獅子岩と呼ばれる。この岩が指しているのは冬至の日没点である。
■獅子岩


葦嶽山遠望
●しかし、葦嶽山日来神宮(ヒラミット)の成立年代はそれほど古くはない。
この葦嶽山も現在の東西南北に合致したピラミッドライン上に存在するからである。
東西南北が現在の位置に落ち着いたのは1万2000年前ごろと云われているが、これはウソらしい。
もっとも新しい推定年代は2800年前・・、
葦嶽山は比較的新しい年代のピラミッド山です。
●⇒日本のピラミッド成立年代を絞り込むと・・
●ピラミッドの謎解きは日本の古代史につながります。
記紀は聖書をベースに作られた宗教書。アマテラス女神はいなかった。
・・日本の古代は南北傾斜15度の時代に造られています。

ピラミッドはラインで解ける!

日本のピラミッド