◇神崎町中村/東山の巨石
奇麗な三角錐の中村東山
●東山中腹にある巨石
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石の塔 new 高さ、目測約7〜8m
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神河町東の中村地区の東山。急峻な三角山だがこの頂上に程近い斜面に石の塔と名づけられた巨石が立っている。
この辺りは江戸時代姫路藩の支藩で福本藩の領だった。その福本藩地図に三体の巨石の存在が記されているが、それがどこにあったのか所在が不明になっている。
 参考リンク⇒龍野市誉田町福田の笹山

●神崎郡の最北部で生野町に接するこの地域は播磨風土記で「はにおかの里」と呼ばれた地域である。
その後の平安時代の郡制からは、生野峠を越えた現在の生野町の中ほどまでが神崎郡だった。生野町のど真ん中に播州地方と但馬地方の境界線が残っており、平安時代から昭和の戦後まで続いた。
昭和30年頃の村合併で生野町との境界は生野峠になり、市川を挟んで東を神崎町、西を大河内町とした。
平成16年、この神崎町と大河内町が合併して神河町となった。
この神河町の南半分の地域が江戸時代、姫路藩の支藩・福本藩の領域である。
この福本藩時代に作られた絵図が残っているが、この絵図の中に不思議な巨大石造物として3体の所在が記されている。
上の写真はその内の1つで、残り2点の所在が現在分からない。
場所は、旧・神崎町中村(現在、工業団地の出来ている谷筋)から南の市川町小畑のコゼ山へ至る辺りである。

●コゼ山(現在、小畑山と呼ばれているらしい)は、笠形山から西へ連なる連峰で市川町との境界の山である。
旧・神崎町から市川町小畑へ抜けるルートは2つあり、そのひとつは根宇野(現在、グリーエコーのある谷筋)から上っていくルートと、この中村(現在、工業団地の出来ている谷筋)からのルートで山の頂上でコゼ山へ至る道へつながっていく。
この中村ルートからの山道は、いずれかの時代に造られたものらしい。
一見、自然の山道のように見えるのだが流れの中を渡る時には必ず歩幅に合わせた安定した平らな踏み石があり、急斜面の場所では組まれた石垣の上を山道が辿っていた。
過去の時代、この山道には頻繁な行き来があったらしい。

◆この中腹でちょっとおもしろい写真が一枚撮れました。ピラミッドとは関係ありませんがちょっとご覧下さい。興味のある方は⇒こちらへどうぞ。