川辺の里・向城山の巨石群
神崎郡市川町東川辺


向城山・古墳跡

 
馬岩

播磨風土記で川辺の里と記された地域だが、ここに亀の形に似ているところから大亀山と呼ばれる山があり、北側の連峰が向城山である。
この向城山の呼称は、この山の南東に「城山」があり城郭があったといい、その城山に向かってある所から呼称されたのではないかと思われる。
この地域では、古墳時代から中世にいたる集落跡や古墳が出土しており、西川辺から東川辺の狭い地域だけで16ヵ所ほども発見されている。

向城山の東中腹でも直径14mの円墳が発見され、「向城山古墳」と呼ばれている。


この向城山古墳のすぐ近くに幅2.7m高さ3mほどの巨石が2体並んで立っており、「馬岩」と呼ばれている。
そして何故か、このあたりを「石切場跡地」とされている。
(以上、市川町教育委員会資料より)
ところが、この石を観察していくと、じつは2体の巨石だけではない。
この2つの石を先頭にしてその後ろに何体もの石が並んでいるのである。数にして十体以上・・・。(写真下・A点からB点方向に幾体もの石がズラリと並ぶ)
これは、石を並べて方向を示す方位石ではないか。
これを方位石と考えて磁石を添えると、ぴったりと「北西ー南東」方位を指している。

古墳跡の石



馬岩の延長線上に古墳があった

南西側の巨石/折り重なって倒れていて一見気づかないが、北西ー南東方位の方位石と直角に並んでおり、北東ー南西を示した方位石だったと思われる。

そして更に、雑木の陰になって分かりにくいのだか、尾根筋の馬岩からわずかに下ったところに、巨石が倒れこんで、そのまま、馬岩の石同様に同じ方向に並んでいるヵ所がある。
不思議な事は、この山筋では、石がない。大分歩いても、巨石どころか、小さな石さえ見当たらない。石が、それも巨石を含めた石が存在するのは、ここだけなのである。

そこで、この倒れこんで並んだ巨石の方向を調べると、まさに、馬岩と直角を為す、つまり、こちらの石は「北東ー南西」方位を指し示している。これを図にすると、下図のようになる。

古墳

北東

北西

馬岩

南西

南東

そして、これを川辺地図に落としてみると、向城山の南西には播磨風土記の「神前山」があり、南東方位には「城山」があることが分かる。

そして、この向城山の山腹からは3方位を一望に望むことができる。
南西から南東側、そして北東位の方向には遠く笠形山、そして、小畑のコデ山をも見通すことができる。
●方位石には対応する方位石がある。
向城山の方位石が指していたのは南東と南西ですが、この南東側は城山の頂上から少し下がった辺りになりますが、ここにやはり巨石と古墳があるようです。
また、南西側は播磨風土記の神前山で、頂上付近に巨石があると云われている山です。向城山の方位石が指す場所にも対応する方位石があると思えます。
●偽書ではない!!竹内文献で解ける謎

不思議の古代史