日本のピラミッド
=竹内巨磨=
皇祖皇太神宮66代館長。
明治八年富山県に生まれる。幼名を岩太郎、婦負郡神明村の竹内三郎衛門の孫養子となる。

代々宮守を勤めてきた竹内家には秘密があった。彼が祖父・三郎衛門から秘密を明かされるのは17歳のとき、1500年に渡って封印されてきた竹内文献の所在だった。それは、古代の歴史を記した巻物・宝物など4000点にも上る膨大な古物・古文書だった。
「発表する時期かもしれない」
三郎衛門は巨磨に宝物を託して世を去った。

明治27年、上京。巻物に書かれた不思議な文字を解読できる人物を探して彷徨していくうち、その文字が神代文字である事を知る。

明治42年、茨城県磯原で天津教を設立、竹内文献の普及活動に勤める。
運動は広まり、貴族や軍部の上級将校にも広がり始めたところ、
昭和五年、東京日々新聞(毎日新聞)の誹謗キャンペーンが展開され、同時に天皇不敬罪の疑いで警視庁から取調べを受け布教活動は制限される。

昭和11年、突如当局が巨磨を逮捕、膨大な竹内文献を押収した。
戦争の色濃い世相の中で裁判が始まる。
昭和19年の最高裁結審で無罪を勝ち取るのだが、膨大な竹内文献は東京大空襲で被災、灰燼と帰す。

戦後に至り、言論の自由は得たものの、戦後につくられた日本の歴史は初代・神武天皇さえ存在しない歴史だった。竹内文献は世に認められないまま、昭和40年、巨磨は世を去る。
ピラミッドの定義

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