プロローグ

播磨風土記が古事記の前編になっているのではないかー?
そんな奇妙な印象が湧いたのは、本作の改変を書き上げてからだった。
その疑問を追って出来上がったのが、本編後編になる「神代の残像」である。たしかにー、播磨風土記は古事記の前編になっていたのだ。

古事記に記せなかったことが播磨風土記に書かれているー。それが、古事記の冒頭に示唆されていたのだ。

古事記の冒頭は国産み神話から始まる。その冒頭でイザナギとイザナミが作ったけれども、使わずに流してしまったモノがある。
それが「蛭子と淡島」ー、古事記の作者は重要な意図を込めてこれを記した。
ここに、不可解な日本草創史の謎が示されていたらしい。

本作は、当初は姫路地名の解明から始まっている。姫路という地名を分解すると「姫」への「路」となる。
これが、あるいは、道程地名なのではないかー?
そんな素朴な疑問からスタートしたものである。
なぜ、そんな疑問を持ったのかー。

それは、姫路の上流域で奇妙な磐坐(いわくら)を発見していたからである。
そしてそこに、ヒメに係わる伝承が残されていたこと・・、それが姫路地名に疑問を持った理由である。

姫路から遡(さかのぼ)る市川の上流域の山塊で見たものは、奇妙な古代の磐坐遺構だった。
それが、昭和初期に展開された日本ピラミッドの記述にピッタリと酷似していたのだ。そこに残ったヒメの伝承が、あるいは、姫路地名に関係しているのではないか・・、そこからスタートした話だったが、これほどの結末を迎えようとは思いもしなかった。

本書は小説ではない。ひとつひとつの事実を見ながら書き進めていったノンフィクションである。だから、書いている途中では、どのような結末になるのかは分からないー。水先案内は、山上の磐坐(いわくら)と地域の伝承・神社・古文献と地図、そして、ピラミッドの指し示す方位線だったのだ。
これらの全てが、日本草創の古代史を指し示していくー。
そこから現われたものは、学校で教えられている古代史とはちょっと異なった古代史である。だが、日本の山々や神社で見かける奇妙な伝説や磐坐(いわくら)に符合する古代史なのだ。

神社や小さな伝説・山の磐坐は遠い祖先が残した歴史である。云わば、小さな神代の残像の一点なのだ。

小さな一点だけでは、それが何を云わんとしているのか、ぼんやりとし過ぎて分からない。
ところが、小さな一点がつながって一本の線になると、見えなかったものが見えてくるー。一本の線は、二本目の線につながり、やがて薄っすらと全体像が見えてくる。これが事実なのだー、と訴えているのだ。
眼にしたことはあるけれど、何のことか分からないで放っておいた昔の遺物・・、それらは間違いなく、我々の祖先が残した神代の残像なのだー。     


  本編は、二度目の改定になる。古事記の前編が風土記なら風土記を追っていく本編も前編になる。

今回の改変は、後編「神代の残像」へつづく話を、より理解して貰い易くするための改変であって、内容が変わる訳ではない。
古事記の示唆は国生み神話の冒頭にあった。
この国生み神話とピッタリ相似形の伝承が風土記の中にある。それが、播磨風土記飾磨編ー、「姫路十四の丘地名伝承」である。

国生み神話に登場するのは大八島と六つの小島・・、風土記飾磨編に登場するのは十四の丘・・、ところがこれを検証していくと、正に古事記と相似形ー、現われたのは八つの大きな丘と六つの小さな丘だったのだ。

そしてさらに、そこに示されていたのが「ホキ」だったー。
風土記が書かれて一三〇〇年ー、なぜ、これに誰も気づかなかったのかー。
この長い期間には疑問を持った者もいたはずだ。
しかし、解けなかった。解けないはずだ。これは、局部をいくら調べても解けない謎だったのだ。すべては全体として存在していた。そのカギが、ホキが示唆する姫の国に存在する。

古代史は、文献だけをいくら捏ね回しても謎は解けない。机上学者には永遠に分からないー。知る資格がないとバカにされていると言って良い。
知ったかぶりをしていると、ウソ話を得々と喋っている滑稽な有知識者となるー。
分からない者は知る必要がないー。古文献とは、そういう怖さを持った代物らしいー。
ヒントは現地そのものにある。古文献の内容は、文献と現地そのものがセットになっているのだ。
「ホキ」もまた、文献にではなく、大地に描かれていたのだ。
姫路の大地に、姫の国を示唆する壮大な「ホキ」が描かれているのである。
「ホキ」とは何かー。「ホキ」を承知している方は少ないのではないかー。ほとんどの方が意味不明ー、何のことか分からない・・、しかし本書を読めば理解できる。

「ホキ」は今でも、一の宮と呼ばれる神社のある場所に存在する。そして、それが祭礼の対象になっている神社も残っている。
「ホキ」とは、日本のピラミッドを示唆したものだったのだー。

本編は、姫路伝承から西播磨をベースとして進んでいくが、話は全国へ飛び火する。地域の歴史がその地域だけで分かるものではない。
郷土の歴史と云って隣町の歴史に疎い歴史家がいるが、まったくもって話にならない。隣町の歴史ぐらいで解消するものではない。
姫路伝承から西播磨を辿る歴史は日本の各地へ広がって、なお足りないー。古代に遡るほど、国境がないのだー。

本書は、多くの方に読んで戴こうとは考えていない。
分かろうとする方、必要な方だけに読んで頂きたい。

本書を読んで心にピンと響く方・・、その方たちが、山上の磐坐を残した者たちの末裔ではないかと思われるからである。
山上の磐坐を残した者たちこそ、古代の日本列島を創った者たちなのだ。その末裔のみが、事実の古代史を知るべき人たちだからである。


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