列島あけぼのの真実
神代の残像
不思議の古代史は、かなり難しい話である。
しかし、その難しさは専門知識が必要なのではない。

ひとつひとつの分野では、常識程度で十分だが、幅広いスケールの知識が必要なのだ。
その範囲は記紀・古史古伝・聖書、それに付随した初歩的な世界史と多少の考古学的な歴史、そして、神社伝承や各地の細部の伝承・・、これに磐坐(いわくら)や方位石などが加わる。

その基本となる知識が、多くが学校では教えられない知識である。
日本歴史で詳しくなるのは平安以後、それ以前の歴史は簡単に数行で済ませているだろう。
秀吉や龍馬をいくら知っても古代史を知る助けにはならない。本編から見れば、それらはいわば最近のこと、数年前の出来事と変わらない。


ここでご案内する古代史は、歴史の先生でもベースとなる基本知識を持っていないだろう。
ひとつの分野での専門知識はあっても、この全ての分野で専門知識を網羅しているという方は少ないはずだ。

従って、ひとつの事柄を説明するのに基本知識から説明するので話が長くなる。
長くなるので分かりにくい、という悪循環に陥ってしまう。
本編では冒頭に結論を紹介する。
まず、全体の流れをつかみ、結論を知った上で各々各部の詳細を見て戴くー。

本編は、不思議の古代史のひとつのエピローグである。言うなれば、ある段階の大きな円に入っている。

小さな円から大きな円は見えないが、大きな円から小さな円は見える。

はじめてご覧になる方には、意味の分からない事項、信じられない事項が、多数、出てくるだろう。
その時は、前作にさか上ってご覧になることで、本編は、プロローグともなり得るはずだ。
前作の段階では、小さな円から大きな円を手探っていることが見えてくることだろう。
そこにも、理解できない事項が現われる。
そのときには、更に前作へさか上っていただく。
そして、最も最初のプロローグへ至ると全てが見える。
日本の古代史には、それほどの不可思議が遺されているのだ。

多くの認めざるを得ない事実が現われてくる。
それは、古代から連綿と続いてきた人々の生活の継続が遺した爪あとである。

文献にはウソが書ける。
しかし、人々が生きた生活の跡から現われる歴史はウソは付かないー。

本編・神代の残像
続/姫の国への道標

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オオカミ


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不思議の古代史