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エピローグ

  • 古社と云われる神社には、かならず、山から降りてきたという伝承が伝わっている。
    伝承のない神社は新しい神社であり、江戸時代、あるいは、明治の神社令で新しく造った神社だ。
    しかし、そこに祀られた神々は、山岳地帯の祠や磐坐で古代から祀られていた神々である。
    この磐坐山の基本に存在したのが、方位石を組み合わせたピラミッド山だった。
    山上磐坐の神々は、有史になって平野の神社へ降ろされた。
    しかし、ピラミッドの方位石は、理解されないまま放置された。

    磐坐(いわくら)と方位石
    区別しておかねばならないことは、神を祀った磐坐山と十六方位の方位石を配置したピラミッド山とは、異なった次元のものだったらしいー。
    これは、祀った者と祀られた者の差…、ではないか。
    祀った者にとって、ピラミッド山は崇拝すべき存在であり、神の座として神を封じて崇めた。
    それが後の日本で磐坐と呼ばれ、ピラミッド山にあったはずの方位石は忘れ去られて消滅し、神の座としての磐座のみが残された。
    この磐坐が後世に至り、平野に降ろされて神社として祀られた。
    祀られた者にとっては重要だったのは、神を祀る磐坐ではなく、遠隔地を指し示す方位石だったのではないか。

    ピラミッド山の頂上に置かれた太陽石を中心にした正確な十六方位と、それを結ぶピラミッドの山々…、これが重要だったのだ。
    十六方位を示唆するピラミッド山は、関西圏・西日本という広域を対象にしている。
    しかし、磐坐山はひとつの山そのものが信仰対象であり、方位石は存在しても遠隔地を指しているとは思えない。
    後世の修験者や陰陽師たちの修行でも、一時に、それほどの広域は必要としなかった筈だ。
    広域ラインは、日本列島の概念がなければ理解できない代物ではないのかー。
    修験者や陰陽師たちが、はたして、日本列島の概念を持っていたのかどうかー。
    八幡山方位線の山々を聞いて、それが十六方位ラインに合致していると答えられるものは、現代人でもいないのではないか。
    日本地図があってこそ確認できる代物ではないのか。

    しかし事実は、ー存在している。
    存在していることは、過去の歴史の中にこれを利用した者がいたはずだ。
    それが、有史以後の歴史で使われていない限り、有史以前の時代と考えるより他にない。
    ここには、奇妙な歴史の後退が見られるのではないかー。
    この「祀られた者」が、あるいは、神と呼ばれた者たちだったのかー?
  • 三神
    神とは何だったのかー。
    神という漢字を使ったことで、神は人間とは異なる存在として別格になってしまった。
    しかし、神(かみ)は上(かみ)と同じ意味の言葉であり、上(かみ)は上(うえ)であって、目上を指す尊称なのである。
    それは「うえ」という言葉が、充当文字を変えて他国の古文献にも現われてくることでも明らかだ。
    目上の尊敬するべき人が死んだ後に上(うえ)さまとして祀られた。

    これが上(かみ)と読まれて「神」が充てられた。
    多くの神々は全て、元は生きて死んだ人…、なのである。
    そして、祀られている神々は、この国を創った者とその一族なのだ。
    神々は、当初は山上の磐坐で祀られていた。これが、ピラミッドと呼ばれた存在なのだ。
    ピラミッドとは、「崖の上の広い場所にある女神(を祀る宮)」を意味している。
    これが、日本に残るアイヌ語で解釈できる。
    アイヌ語そのものが、日本列島に残った一集団の言葉ではなく、古代カラの国=世界の大陸で使われていた言葉だったのだ。
    (アイヌ語については、姫の国への道標を参照)
    この磐坐の神々が、有史にいたり平地の神社に降ろされた。
    磐坐の神々、すなわち、ピラミッドは、神社に受け継がれたのである。
    エジプトや南米には多くのピラミッドが存在するが、その伝承を伝えるものはなく、また、三神を祀る神殿も伝わっていない。
    三神が残っているのは日本の神社だけなのだ。
    そして、ピラミッドの三神には、さらに、重要な意味がある。
    これは、不思議の古代史を辿っていくことによって理解できる重要事項であり、現在世界の根幹を成しているものなのだ。

    山上の磐坐には多くの種類があるように見えるが、じつは、それほどには多くない。
    ピラミッドに存在したのは方位石であり、さらに、中天を指すメンヒル、鏡石などがある。
    その中の神々を祀る磐坐は、男神と女神を祀る磐坐と、神の座とする石積み(神輿)の三種である。
    この三神を表わした三柱のモニュメントは西欧社会に存在しており、写真などでご覧になったことがあるはずだ。
    それは、じつは日本にも残っている。
    それが、三柱鳥居である。


  • 三柱鳥居
    神社の鳥居の柱は何本ある…?
    愚問だろうか…。
    ーではない。
    二本と答えた方が知らないだけだ。
    答えは、三本ー。

    神様は一人二人とは云わない。一柱二柱という。
    一本の柱はひとりの神を表わしている。
    磐坐に祀られていたのは三神であり、これを踏襲した神社も、神は常に三人(柱)単位で祀られている。
    ご覧になったことはないだろうかー。
    三本柱の鳥居は、京都太秦の蚕の社にあり、また、大和国一宮の大神神社に存在する。
    山上磐坐で祀られていた男神・女神と神の坐(神輿)の三種を踏襲したものがこれだ。
    神社の神殿もまた、この三神を踏襲している。男神と女神と神の座が祀られているのだ。
    それが、造化三神である。(この詳細は、謎の三ツ星配置を参照)

    三柱鳥居の前身
    この三柱鳥居の前身が三つのピラミッド山である。
    一本の柱は一つのピラミッド山を踏襲したものであり、三本の柱は三つのピラミッド山を踏襲している。
    三つの山の三角配置は現在の一宮と呼ばれる神社のある場所に存在していることが多い。
    この三山の三角形の並びは、ホキのホを表わしている。
    ホキをご存知だろうかー。
    ほとんどの日本人はホキの意味を知らない。
    ホキとは、平面の「あ・ぅん」である。
    ーが、これだけで理解できる代物ではない。
    ホキを知らなければ日本の古代史は解けない。
    日本列島そのものが、ホキの思想によって形造られているのだ。(詳細→姫の国への道標を参照)
    そして、これら三山の位置が、北緯・東経に関係していることが分かってくる。
    三山の北緯・東経の数字は、日本歴史の根本に係わる重要な
    ことを示していたのだ。(詳細→神代の残像最終章)
  • 三社並殿
    神社の基本をご存知だろうかー。
    三社並立である。
    神社の社殿はひとつではない。
    三つである。
    三つの社殿で三人の神を祀る…、これが基本である。
    これは記紀にも記されている。
    ただし、明治の神社令で周辺の神社が合祀され、この形態を守っている神社は、数少ない。神社はグチャグチャだ。
    大きな神社では十人ほども神を祀り、それを誇っている所もあるが、正確にはもはや神社とは云えない。
    三人以上は祀ってはいけない(正式には「三柱」という)。
    三人以上は、別の境内にしなければならない。これが神社の鉄則である。
    三者の神は「造化三神」を表わし、三人の造化神でひとりの絶対神を表わす。
    造化神とは生きて死んだ者が祀られたものである。
    いまでも田舎の神社では、この原則を守っている神社がある。中央の大きな社殿の両脇に二つの社殿が並び、祀る神は三神である。
    社殿の大小には関係ない。別社殿かどうかが問題なのだ。
    三人の造化神が表わすのは、男神と女神と神の座に据っている神ー、この国の創始者であり、その根本は、現在世界の創始の者を祀っているのである。
    鏡石は、天空のあるものを写し取る鏡として使われた。そして、それが国造りのベースとなったのである。(詳細→神代の残像)
  • 狛犬
    境内の拝殿の前には、二頭の狛犬が坐っている。
    この二頭の動物が何なのかー、あなたはご存知だろうか?
    狛犬の一頭は獅子であり、すなわち、ライオンだが、もう一頭は何だろうか?
    よく見て頂きたい。その額には角があるはずだー。
    これは、ヨーロッパの伝説の中のユニコーンという一角獣であり、想像上の動物なのだ。
    むろん、ライオンもユニコーンも日本にはいない。それがなぜ、神社の境内にあるのかー。
    古来、日本では一角獣のユニコーンは麒麟(きりん)とされてきた。首の長いあのキリンのことではない。
    麒麟とは中国神話に現われる伝説上の動物のことで、身近な所ではキリンビールのマークに使われている動物だ。

    麒麟(きりん)
    麒麟とは、中国神話の伝説上の動物で、鳥類の長である鳳凰と並んで獣類の長とされた動物である。
    形は鹿に似て大きく、背丈は五メートルほどあり、顔は、龍に似て、牛の尾と馬の蹄をもち、雄は頭に角を持つとも言われる。
    背毛は五色に彩られ、毛は黄色く頭に角があり、本来は一本角であることから、西洋のユニコーンと比較されることもあるという。
    普段の性質は非常に穏やかで優しく、足元の虫や植物を踏むことさえ恐れるほど殺生を嫌う。
    神聖な幻の動物と考えられており、一〇〇〇年を生き、その鳴き声は音階に一致し、歩いた跡は正確な円になり、曲がる時は直角に曲がるという。
    この動物を捕らえるための罠にかけることはできない。
    麒麟を傷つけたり、死骸に出くわしたりするのは不吉なこととされる。
    むろん、伝説上の動物だから出会うことはないのだがー。
    この麒麟(きりん)と獅子(ライオン)が、日本のもうひとつの皇室の紋章であり、京都御所の門に描かれていた。
    そして、フランスのロスチャイルド家の家紋はライオンとユニコーンであり、さらに、イギリス王家の家紋もライオンとユニコーンが描かれている。
    この事が何を意味するものなのかー。この二頭の動物は、かつて、古代北イスラエルの神殿の前にも据わっていた二頭なのだ。

    阿吽(あうん)
    拝殿前の二頭の狛犬の内、一頭は大きく口を開け、一頭は真一文字に結んでいる。
    これが阿吽(あうん)で、始まりと終わりを表わしているとは、これまでにお聞きになったことがあると思う。
    これは、真言仏教の呪文のひとつで、阿(あ)は口を開いて最初に出す音であり、吽(ん)は口を閉じて出す最後の音で、宇宙の始まりと終わりを表わす言葉とされている。
    しかし、この説明だけでピンと来るだろうかー。分かったようで分からない…。
    これは、「あいうえお」のひらがな五〇音の音韻が、世界を制する文字であることを表わしている。
    イエス・キリストの有名な言葉に「わたしはαでありωである」という一説がある。

    口を開けた狛犬は「あ」で、ギリシャ語では最初の「α」。
    口を閉ざした狛犬は「ん」で、ギリシャ語では終わりの「ω」。

    ωは、そのまま日本語の「ん」と読めるが、最初のαの頭に十字(+)を入れると、「α」は「あ」になる。
    つまり、「あいうえお」は、いちばん頭の十字架によって全部が支配されている。
    これはそのまま、宝珠(ほうじゅ)を表わしているー。
  • 宝珠
    宝珠とは、世界(球体)に対するキリスト(十字架)の支配権を象徴した図形である。
    これを仏教では、如意宝珠(にょいほうじゅ=チンターマニ)といい、様々な霊験を表すとされる宝の珠のこととされる。
    サンスクリット語のチンターとは「思考」、マニは「珠」を指し、「意のままに様々な願いをかなえる宝」という意味である。
    これが日本では一般的に、下部が球形で上部が円錐形に尖った形で表され、この形が、仏塔の相輪の最上部に取り付けられ、その他の仏堂の頂上に置かれている。
    もっとも身近なものが、橋の欄干などの装飾として取り付けられたもので、これを擬宝珠と呼んでいる。
    ひらがなの「あいうえお」五〇音とは、世界を支配する音韻文字という意味を持っている。
    すなわち、阿吽(あうん)の狛犬は、この向こうに世界の始まりと終わりがあると云っているのだ。
    世界の支配権を表わす阿吽(あうん)に守護された神社とは何なのかー?

    神の社
    神社の鳥居が磐坐を踏襲して造られたように、神の社もピラミッドを踏襲して造られている。三社並殿もまた、三つのピラミッドを踏襲したものなのだ。
    三社並殿は、そのまま、ピラミッド思想に通じる。
    神社の原点には、三大ピラミッドと同じ三ツ星配置が存在していた。
    三つの本殿を基点に造られている神社とは、まさに、この世の極楽世界を型造って造られた領域な
    のだ。すなわち、キリスト教の奥儀であるカッパーラの生命の木、それは古来、日本の陰陽道の中にあったカバラの思想に基づく生命の木である。
    この生命の木そのものを描いた場所、それが神社なのである。

    三つの本殿は三つのピラミッドを踏襲したものであり、その意味は、峻厳・均衡・慈悲を表わす三本の柱を意味している。
    ならばー、その原型である三つのピラミッドを基点として描かれていたものは何だったのかー?
    ピラミッドの思想は具現化されて眼の前に造られ、すべての日本人に見えていたのだ。
    ところが誰もそれを知らない。

    ー見えているのに見えていない……、
    ー聞こえているのに聞こえない……、

    まるでバカの見本のようなものだが、この予言はこのまま聖書の中に存在している。
    過去の歴史の中で、聖書の予言を実行したものがいるらしい。
    我々は、メクラにされていた。
    奇妙なことだが、これは日本列島にだけ残ったー。
    他の国々には残っていない。
    これが、日本の国のみが持っている不思議の古代史なのだ。
    本編のプロローグに比べて、ラストのエピローグは、あまりのギャプがあると思われるだろうー。
    このエピローグは、不思議の古代史におけるひとつの時点での結論である。ここではあえて述べたー。
  • 不思議の古代史のプロローグは、バラバラになった神代の残像の一点に過ぎない。
    それは、現在の事実そのものである。
    その一点をいくら眺めていても答えは何も浮かばないー。
    その一点は隣の一点と結びつき、さらに隣の一点を必要とする。
    それが、ホキ…、ピラミッドの三角配置である。

    ホキとは何かー?
    ホキは、あなたの身近に地名として存在しているはずなのだ。
    ホキを知らなければピラミッドの謎は解けない。


    ピラミッドラインは、まさに、それを結んでいく指標になっている。
    ピラミッドラインを追っていくと、エピローグで述べたことが全て実証されていく。
    それが、後代の者に分かるように伝承されているのだ。
    古文献は、文献だけをこね回していても謎は解けない。
    すべて、現地と符合して伝承されている。
    その十六方位ラインを配置した者も、古代の日本人だったのだ。
    ピラミッドラインの彼方に、事実の草創の古代史がある。

    封印された日本の古代史とは何なのかー?
    この謎は、ピラミッドラインを追っていくことで徐々に姿を現わす。
    十六方位のピラミッドラインには、有史以前の事実の古代史が刻み込まれているのだ。
    単体のピラミッドをいくら調べても謎は解けない。
    ーピラミッドは単体ではなく全体として機能する…、のである。

                   平成二十三年九月 市川 慎


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