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八幡山はピラミッドか?

八幡山はピラミッドか

★◆播磨風土記で川辺の里と呼ばれた由縁の川は、市川ではなく小畑川だった。小畑川の源流は地元でコゼと呼ばれる谷に遡り、山北の神崎町とを隔てて屹立しているのがコゼ山である。地元で「コデ」と発音されてきた谷はコデ山の麓に当たり、小畑川の源流の一帯をさす地名で、小畑の人々は朝に夕に地域の北端の山を眺めて暮らしてきた。戦前から終戦後の時代にかけて、村落から数キロあるこの山へ、炭焼きに出かけていたという。だが、この「コデ」の意味を知る人は一人もいなかった。昔から、そう呼ばれ伝えられてきた地名だからだ。竹内文献から現われるもうひとつの言葉がある「ヒナタ」という言葉はご存知だろう。広辞苑に拠れば、「日向」と漢字表記し、日の当たっている所の意味と記されている。反語が「日陰」、日の当たらない場所の事である。ところが、この「ヒナタ」も本来の意味が竹内文献に記されている。方位を指す言葉、なのである。太陰暦では31日はなく毎月は30日で、うるう年にうるう月があり12月が2度ある。太陽暦が4年に1度の2月29日を儲けて誤差を修正しているのと同じように、ここで誤差を修正するのである。そして日にちの数え方は、1ヵ月30日を上旬(1日ー10日)、中旬(11日ー20日)、下旬(21日ー30日)に分けて、上旬(1日ー10日)を「立(たつ)」中旬(11日ー20日)を「円(まど)」下旬(21日ー30日)を「篭(こもり)」と呼ぶ。景教とは中国に伝わったキリスト教のことである。ここでキリスト教の概略を記すと、ローマ帝国によってキリストは処刑されたが、キリスト教は爆発的に広がり信者の数は膨大になっていく。やむなく三一三年、帝国はキリスト教を国教として公認したのである。だが信者の増加とともに宗派ができ派閥争いが始まる。この派閥争いの有名な会議が二つある。三二五年の「ニケーア公会議」では、「三位一体説」を主張する「アタナシウス派」に対し、「アリウス派」はイエス・キリストの人間性を重視し、キリストは神ではないと主張して異端とされた。◇☆◇◇
生野山脈にピラミッド発見!ネットサイトには数多くの日本ピラミッドが紹介されていますが、過去に発見・発表されたものです。ここでご紹介するピラミッドは本邦初公開のピラミッド山です。 
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