通説では、出雲は島根とされていますが、これは確実に怪しい。
もう一点は、通説の解釈で、
大国主と大汝(オオナムチ)は同一人物とされていますが、これもどうかー。
記紀では、二人は別人となっていて、同一人物と言うのは後世の学者さんの解釈のようですね。
竹内文献では、大汝(オオナムチ)尊は、ニニギ尊の親王でウガヤ・フキアエズ朝二〇代天皇として記されています。
同じニニギ尊の親王としてニギハヤヒ、スクナヒコがいます。
大国主(オオクニヌシ)はスサノオ尊の系統で、すなわち、国津神。
大汝(オオナムチ)は、天孫系だが、ウガヤフキアエズの系統・・という別人ではないか。
天孫系の本系統は、ホホデミ尊=神武天皇の系統。
ここまで推定すると、纒向(まきむく)遺跡の宮殿は、
大汝(オオナムチ)系=ウガヤ・フキアエズの系統ではないかー、という推定になります。
そして島根の出雲も同じ系統か・・。
記紀では、ウガヤ・フキアエズ朝はその最後の七十三代目で神武天皇に集合されたようになっています。ウガヤ朝七十三代・狭野(サノ)命=神武天皇=ホホデミ命で、すべて、神武天皇に統一されたようになっています。
これからすると、ウガヤ・フキアエズ朝は紀元前七二〇年ごろに始まり、紀元前六〇〇年に終了した王朝となりますが、この記述に、あるいは、創作が加わっているかもしれません。
ウガヤ・フキアエズ朝が、そのまま継続して、紀元三世紀まで存続していた可能性があるなら、
島根の出雲も大和も、ウガヤ・フキアエズ朝の後継王族だった可能性があります。
つまりー、
十五代応神天皇が東征で戦った相手は、ウガヤ・フキアエズ朝の末裔=日高見だったことになりますがー、このあたりはまだ検証していません。
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