ピラミッドはラインで解ける!
偽造された神社と古代史
三つの正殿と式年遷宮
伊勢神宮の行事の一つに式年遷宮がある。
式年遷宮は20年に1度、神社の建物を建て替える行事だが「遷宮」の意味は「移る」で20年に1度建て替えるのだが、同じ場所に建てるのではなく、新しい正殿はその建設位置も替わっていくのである。
昔は、その3ヶ所にそれぞれ3つの神殿が建っていた。
本来、伊勢神宮の本殿は内宮・外宮ともに、過去の時代には1つではなく3つずつあったという。
古代伊勢神宮を描く「伊勢両宮之図」には、内宮・外宮ともに3つの正殿が描かれている。
そして、内宮の3つの正殿には古事記の造化三神が、外宮の3つの正殿には日本書紀の造化三神が、それぞれ祀られていた。
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古事記の造化三神とはー、
天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、
高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、
神産巣日神(かみむすびのかみ)ー。
日本書紀の造化三神とは、
国常立尊(くにのとこたちのみこと)、
国狭槌尊(くにのさつちのみこと) 、
豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)を云う。
この三神は三位一体、三神で表わすのは唯一の絶対神でひとりの神である。
三つの本殿がそれぞれ移動しながら建て替わっていた。
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これが、記紀以降、一つになった。
記紀の編纂を命じたのは天武天皇だが、事実上完成したのは、伊勢神宮の祭祀が確立した41代持統天皇のとき、この時の実権者は藤原不比等である。
この男が全国の神社へ圧力をかけて、記紀の記述に合わせて祭神を変更させた。
目的は、記紀で女神アマテラスが天孫ニニギ命に地上の支配権を与えるという構図を作っておく事だったという。
神話の中に前例を作り、現実の譲位を正当化させようとした。この当時、多くの女帝天皇が輩出している。
アマテラスを女神に変更した女神神話が創られた背景には「女帝の正当化」が策略されていたのだ。
日本には古来、造化三神が表わす唯一絶対神信仰があった。これを抹殺し、八百万(やおろず)の神々の信仰へ、無理やりに変えたのだ。
このとき、伊勢神宮の三つの正殿も失くなり一つになった。
全国の神社が三つの正殿だったかどうかは分からない。しかし、それに代わるものが置かれていた。それが、三柱鳥居である。
三柱鳥居
三柱鳥居の三本の柱は三人の神を表わし、三人の神で表わすのは唯一の絶対神、これが古来祀られてきた日本の神さまなのである。
この三柱鳥居が神社の中に置かれていた。
その一面が神社の鳥居である。
正面から見ると柱は二本、この柱は二人の神を表わす。だがその背後に、もう一人の神が隠れているのだ。
日本には八百万の神々がいたとされているが、これは、記紀以降のまったくの「ウソ話」、藤原不比等が作り上げた創作話だ。
三柱鳥居でもっとも有名は、京都市の嵐山近くの太秦の蚕の社(木嶋社)の三柱鳥居だが、現在、三柱鳥居は日本で七ヵ所ほど確認されているという。
奈良の大神(おおみわ)神社、対馬の和多都美(わだつみ)神社、東京都墨田区の三囲(みめぐり)神社など。


太秦の蚕の社

対馬の和多都美神社
蚕の社の三柱鳥居は石造りだが、記紀以前の全国の神社にあったという三柱鳥居は、おそらく、檜の木造だった。
三柱鳥居も20年に1度、新しいものに造り替えていたのではないか。
木造なら、放っておけばいずれ腐って失くなるのだ。
その最大が伊勢神宮の三つの正殿だった。
記紀以降三つの正殿は失くなり一つになった。
伊勢神宮に残った1つの正殿は現在も3つの位置を順に巡って20年に1度建て替わっている。
以上が、伊勢神宮の式年遷宮である。
この歴史封印には、陰の主役がいたらしい。それが・・。
この式年遷宮とまったく良く似た「山」を祀る祭がある。
それが、伊和神社の三つ山祭・一つ山祭という祭りである。
三つ山祭は、六十一年に一度、一つ山祭は二十一年に一度催行される。
これが伊和神社の三つのピラミッド山だったことは云うまでもない。
式年遷宮の原点はピラミッド山にあったのかも知れない。

(不思議の古代史第3集より抜粋)
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