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弓月君
弓月君と融通王
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弓月君(ゆづきのきみ/ユツキ、生没年不詳)とは、『日本書紀』に記述された秦氏の先祖とされる渡来人である。
弓月君を新撰姓氏録では融通王と記す。

漢字は表意文字であり表音文字ではない。
同じ発音の言葉を別の漢字で記したことにより、日本の古代史は複雑怪奇なものになってしまった。

これは、「ゆづきのきみ」でも「ゆうずうのきみ」でもなく、
「ユズ」、あるいは、「ユウズ」という発音に漢字を充てたものだ。
この元の資料は神代文字ではなかったかと思われる。
いったん漢字になってしまうと、どう読むかという書き手の意思が正確に伝わらないのが漢字の欠点である。
『日本書紀』では弓月君(融通王)は、応神天皇16年に朝鮮半島の百済から百二十県の人を率いて帰化したという。
秦の皇帝(始皇帝とされる)五世の孫であり、渡来後、日本に養蚕・機織を伝えたとされる。
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弓月君(ゆづきのきみ/ユツキ、生没年不詳)とは、『日本書紀』に記述された秦氏の先祖とされる渡来人である。
弓月君を新撰姓氏録では融通王と記す。

漢字は表意文字であり表音文字ではない。
同じ発音の言葉を別の漢字で記したことにより、日本の古代史は複雑怪奇なものになってしまった。

これは、「ゆづきのきみ」でも「ゆうずうのきみ」でもなく、
「ユズ」、あるいは、「ユウズ」という発音に漢字を充てたものだ。
この元の資料は神代文字ではなかったかと思われる。
いったん漢字になってしまうと、どう読むかという書き手の意思が正確に伝わらないのが漢字の欠点である。
秦氏の研究を続けた佐伯好郎博士は、弓月君は中国大陸の三日月王国(別名を、新月王国・弓月王国という)から渡来したと推定、その場所を中国の西端、カザフスタンとの国境付近とし、その都が新彊ウイグル自治区北西部の伊寧(いねい)だったと推定した。
そして弓月王国は、キリスト教王国だったのである。
不思議の古代史第2集
「謎の亀形地方位石」より抜粋
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