酒井勝軍(かつとき)
広島・葦嶽山の
巨石のひとつ 方位石 |
昭和初期、「日本ピラミッド説」を提唱し、全国にピラミッド探査を展開した人物がいます。「酒井勝軍(かつとき)」です。
キリスト教の牧師で、キリスト教の歴史を研究していた彼は、古代ユダヤ、エジプトのピラミッドへと進展していき、古代ユダヤ民族と日本の天皇に秘められた関係があることを直感、日本の超古代史へと進んでいきます。
その結果、ピラミッドが、古代の日本で発祥したものであることを確信し、日本全国にピラミッド探査を開始。
昭和9年、広島で葦嶽山(あしたけやま)を発見するのです。
この葦嶽山には、数々の巨石遺構が残っており、発掘調査の結果、2万3千年前、神武天皇以前のウガヤ王朝の時代に建造された、ピラミッドであると断定します。
この葦嶽山の存在を裏付ける、古文書が存在したのです。
それが「竹内文献」です。
すなわち、竹内文献の中の、御神宝と呼ばれる機器類の中にあった、御神体石に神代文字で、次のように書かれていたのです。
年イヤヨ月円(まど)六日詔して
吉備津根本国に
大綱手彦天皇霊廟
亦名メシヤ、
日の神月の神、
造主神日来神宮
この最後の一節の「日来神宮 」、ヒラミット、つまり、ピラミッドです。
(イヤヨ月円六日とは、3月16日のこと。月間30日を三つに分け、1日から10日までを立、11日から20日までを円、21日から30日までを篭と呼んで区別したという)
文献に依ればー、
吉備津根本国とは、備前・備後であり、大綱手彦は、不合朝第十二代天皇の叔父に当たる。そしてこの、十二代天皇の名前が、弥広殿作天皇と云うのです。
ヤヒロドノー、古事記に登場した、ヤヒロドノという建造物は、今もってどんな建物を意味するのか不明ですが、竹内文献は、それが日来神宮、つまり、ピラミッドの事だとだと云うのす。
この天皇の在位が、約二万二千年前、それが、酒井のパレスチナ・エジプトでの調査結果とも、おおよそ一致したといいます。
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