●竹内文献は本当に偽書なのか? ー竹内文献で解ける地名の意味!! |
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播磨風土記で川辺の里と呼ばれた由縁の川は、市川ではなく小畑川だった。 小畑川の源流は地元でコゼと呼ばれる谷に遡り、山北の神崎町とを隔てて屹立しているのがコゼ山である。 (本編では「コデ」と記載してきたが、古来、この地域ではダ行とザ行の発音の区別がつかない。神崎郡は「カンザキグン」だが、この地域の人が発音すると「カンダキグン」となってしまう) |
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地元で「コデ」と発音されてきた谷はコデ山の麓に当たり、小畑川の源流の一帯をさす地名で、小畑の人々は朝に夕に地域の北端の山を眺めて暮らしてきた。戦前から終戦後の時代にかけて、村落から数キロあるこの山へ、炭焼きに出かけていたという。 だが、この「コデ」の意味を知る人は一人もいなかった。 昔から、そう呼ばれ伝えられてきた地名だからだ。 |
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そして、「コデ」、または「コゼ」という言葉は広辞苑にも載っていない。 当用漢字にはない言葉なのである。 ところが、この意味が解けた。 広辞苑には掲載されていなかったが、偽書と言われる竹内文献にこの言葉が登場するのである。 |
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竹内文献には、「コゼ」という言葉で登場する。 風の名前だったのである。 「コゼ」とは、「東の風」をさす言葉である、という。 たしかに、小畑の「コゼ」は東小畑の北端にあり、東からの風が来るところかもしれない。ちなみに、 |
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■そして、これらの言葉のいくつかは日本の各地で今でも使われていたのである。 参考リンク⇒ご覧ください。
マゼという単語は広辞苑には出ていません。 しかしこの言葉は高知、宮崎、鹿児島県地方の漁師さんの間で昔から使われていた言葉です。
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●さらに地名はあった! | |||
小畑集落の形状は、南から上っていくと途中でY字型に東西の谷筋に分岐し、東と西の谷に分かれる。東の谷が東小畑で、この谷の奥にあったのがコゼだった。それが竹内文献では東風の意味だった。 これから見当をつけて、西の谷にも似たような地名があるのではないか・・と調べていくと、・・あった。 西小畑の奥に、「ナゼ」と呼ばれている場所があったのである。ナゼとは西風・・東小畑の「コゼ」に対応した「西の風」を意味する地名である。 これらの地名は有史以前、現在の歴史以前に名づけられた地名・・・なのか。 |
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川辺の里、また、これを取り巻く付近の地域に、この名前の着いた地名が残っているのではないか。地図にも載らない、発音によって伝承される地域のみの地名である。 | |||
姫路市飾磨区に、阿成(アナセ)という地名がある。 地名辞典には載っていないが、これも妙な発音で漢字の意味から来た地名では無いように思える。先に発音のあったものに漢字を当てはめた・・。 ただ、この場所は海岸に近い場所で西北の風とは結びつきにくいとは思うのだが・・。 |
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◆この他にも現在使われている言葉がある | |||
●「ヒナタ」の本来の意味・・・ | |||
竹内文献から現われるもうひとつの言葉がある 「ヒナタ」という言葉はご存知だろう。広辞苑に拠れば、「日向」と漢字表記し、日の当たっている所の意味と記されている。反語が「日陰」、日の当たらない場所の事である。 ところが、この「ヒナタ」も本来の意味が竹内文献に記されている。 方位を指す言葉、なのである。 「ヒナタ」とは南方位のこと。そして、東西南北を指す言葉がある。ちなみに、 ヒウケ・・・北 ヒガシ・・・東 ヒニリ・・・西 フト・・・東北 タミ・・・東南 ヒサ・・・南西 イエ・・・北西 以上が方位を指す言葉である。 |
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●竹内文献に現われる日にちの数え方、月の名前 | |||
@日にちの数え方 | |||
太陰暦では31日はなく毎月は30日で、うるう年にうるう月があり12月が2度ある。 太陽暦が4年に1度の2月29日を儲けて誤差を修正しているのと同じように、ここで誤差を修正するのである。 そして日にちの数え方は、1ヵ月30日を上旬(1日ー10日)、中旬(11日ー20日)、下旬(21日ー30日)に分けて、 上旬(1日ー10日)を「立(たつ)」 中旬(11日ー20日)を「円(まど)」 下旬(21日ー30日)を「篭(こもり)」と呼ぶ。 15日と言えば、「円の5日」なのである。 |
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A月の名前 (太陰暦の月なので現在の時期とは1ヵ月余りの誤差がある) |
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1月・・・ムツヒ月 2月・・・ケサリ月 3月・・・イヤヨ月 4月・・・ウベコ月 5月・・・サナヘ月 6月・・・ミナツ月 7月・・・フクミ月 8月・・・ハヤレ月 9月・・・ナヨナ月 10月・・カナメ月 11月・・シブル月 12月・・シハツ月 |
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●関連記事⇒竹内文献について | |||
不思議の古代史 |