ピラミッド山がなぜ高い山岳地帯に多いのか、
これには海水面が大きく関係しているようです。
古代の海水面は現在よりも高かったという記録があります。
よく言われているのはー、
12000年以前の海水面は現在より140mほど低かった。
12000年前、つまり、紀元前1万年ごろに氷河期が終わり北極の氷が解け始め海水面の上昇が始まった。それは紀元前1万年ごろから始まり紀元前6000年ごろに現在の海面に落ち着いたといいます。
この時現在の海面になったわけではなく、もっと高い所まで上昇したようです。その後、ゆっくりと下降し始めて最終的に現在の海面になった。しかしふたたび上昇が始まっている。こんな感じではないかと思います。
この海水面の上昇・下降は継続的に続いているようです。
播磨風土記の姫路伝承には、オオナムチ神時代の海岸が現在の白国あたりだったと記しています。これからすると推定、5-6m高かったことになりますが、これは現在の地形から無理のない程度に推定したもので実際はもっと高かったようです。 |
●40mに符合する神武東征仮説 |
加藤大門氏の著作「古代日本史の謎」で神武東征記録から海水面が推定されています。
神武東征と日本武尊の東征地名を現在の海水面より40m高くすると、それらの土地はピタリと海岸沿いになるといいます。彼らが東征の途中で立ち寄った地域が海岸沿いの土地だったのではないか。つまり、その頃の海水面は40mほど高かったのではないかと推定しておられます。
40mも高かったら海水はかなりの奥地まで入り込み、現在人が住んでいる海岸沿いの町は元より、かなり内陸の川沿いの町までも海面下になります。事実、内陸の土地に元は海だったという伝承が多くあります。 |
●符合する兵庫南部水域 |
●この仮説を兵庫南部に当てはめると、いろいろな地名、伝承が符合してくるのです。 |
その@市川流域
・姫路白国伝承
・香寺大蛇伝説とまぼろしの香寺井堰
そのA夢前川流域
・「塩田」地名
そのB揖保川流域。
・亀山東麓に残る「船渡」地名。
そのC揖保川流域。
・上月町大酒集落の大酒神社の酒造伝承。 |
兵庫南西部水域図
⇒拡大します |
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これを合わせてピラミッド山の存在位置を見ていくと、山々は海からそう遠い場所にあった訳ではないことが分かります。なぜ高い山の頂上でなければならなかったのか。
それは、海面上昇があっても最後まで残る場所・・・このために高い山の頂上が選ばれたのではないか・・・。 |
人が住める場所は、現在で内陸に当たる山の麓から山腹にかけてしかなかった訳です。
なぜ高い山の上を住居としていたのかという具体的な理由がはっきりとします。
そして、海水面が高いということは平年温度が高いことでもあり、魏志倭人伝の卑弥呼伝承での亜熱帯性植物の存在が当然ということになります。
この海水面は時代が下ることにより徐々に低くなって行き、いずれかの時代に現在の海面高になったと考えられます。しかし、それがいつの事なのかははっきりしません。
この海水面は低くなって、ふたたび高くなるには長大な期間が必要なのではないかと思われます。
現在、海面上昇が問題になっていますが、これは短絡的にCO2だけの問題ではなく、地球そのものの変化とも考えられます。
つまり、今までは海面は下がり続けてきたが、現在、その折り返し点に来ているという訳ですね。
そうすると、これまでの海水面に係わる記述は時代の前後を確定できるものではないか。
つまり、海面の高い記事のほうが時代が古く、低い記事が新しいということになります。
海面上昇・下降は数百年単位のことであり、ひとりの人間が実際に体感できることではありません。そして、海面は海抜ゼロとして高さの基準となっているので、いつの時代にゼロがどこだったのかは記録には残らないことになりますね。 |
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