エジプト文明は、南のスーダンから北へ流れるナイル川を中心に文化が開けて来た。 地中海側の下流域を下(しも)エジプトといい、上流域を上(かみ)エジプトと呼び、さらに、南部のスーダン以南の南部地域がヌビア、または、クシュ地方と呼ばれて来た。 この、ヌビアもクシュも、聖書に由来する。 |
初期王朝から古王国時代
ヌビア・クシュ地名
さらにクシュは、旧約聖書の古代訳・アレキサンドリヤ・ギリシャ語訳では、エチオピアだと云う。
つまり、クシュのギリシャ語地名がエチオピア、
まとめると、「クシュ=ヌビア=エチオピア」と云う訳だ。
太陽神ラー
太陽神ラーは、エジプト神話の最高神で、万能の力を持つ神々の王として崇敬された。ラーは、「ハヤブサの頭」を持つ「獣頭(鳥頭)人身」の姿で描かれている。 エジプト神話の特徴は動物崇拝であり、動物は神そのものとされ、ジャッカルの頭を持つアヌビス、タカの頭を持つホルス、雌牛の女神イシスなど、神々は、獣や鳥の頭を持つ姿で描かれている。 |
星座信仰
ピラミッド・テキストは、サッカラ南方の第八王朝のピラミッドに書かれたものが最後らしく、第八王朝の頃まで、オリオン星座信仰が行われていたらしい。
なぜ、星座信仰が忘れられていったのかー。
それが、エジプト南部からスーダンにかけたヌビア(クシュ)地方に興った「クシュ出身の王朝」に関係するらしい。
クシュ
紀元前二五〇〇年頃、エジプトが南へ移動し始めたことで、エジプト王朝とヌビア地方が直接的に係りを持つ。
そして、紀元前二一三四年ごろ、上エジプト南部の都市テーベの州侯が自立して、第十一王朝を建てた。
これが、ヌビア出身の王朝の始まりである。
中王国時代(紀元前二〇四〇年頃~前十八世紀頃)
これが中王国時代の始まりだが、この後に登場したアメンエムハト一世が、第十二王朝初代王とされる。
第十二王朝初代王アメンエムハト
アメンエムハト一世は、上エジプト第一県(首都・エレファンティネ)の出身だが、その南部がヌビア地方(現在のスーダン領)であることから、ヌビア人ではないかと云われる。
エジプトとスーダンに国境が出来たのは近代であり、それ以前のアフリカに国境は存在しない。
救世主アメンエムハト
第十二王朝の王たちは、こんな風潮を利用し、文学作品を通じて「統一者・救済者は、アメンエムハト」という
政治宣伝を繰り広げ、「アメンエムハト一世=救世主」と位置づけ、国内基盤を固めた。十二王朝は、その後、二〇〇年余り続いた。
太陽神アメン
アメンは、アモン(Ammon)・アムン(Amun)とも表記され「隠されたもの」を意味する。
このアメン神が、上エジプトと接したヌビア地方での信仰神でもあった。
アメン→天
アメン神が、アメン→天(アメ)と漢字表記され、古代の日本列島へ入って来たのではないかー。
日本神話の上古代の神々は、「天(アメ)の△△の命」と表記される。外国語の「ン」には特に意味がなく、日本では「ン」の文字がなかった。カナ文字の「ン」は八世紀以降、空海が創ったと云われている。
アメン神とは「アメ神」、ー「天神」だったのではないかー。
……すると、エジプト王朝と日本の天皇系譜に奇妙な類似が現われる。
天八下王→アメハト王
後ろの「身光」は称号で、光の身体=魂のことで、名前は「天八下」…、奇妙なフリガナが付いているので、読者が惑わされてしまうのだが…。漢字の「天八下王」を自然に読み下すと、「アメハトおう」ではないかー。
ーなら、「…………!」、ではないかー?
第十二王朝の王ー、アメンエムハト一世である。
アメンエムハト王
さらに、アメハトと読める天皇がもう一人いる。
上古第九代の「天八十万尊」である。
こちらは「アメ・ハト・マ」で、最後に一音多い。
アメンエムハト王には、二世三世がいるので複数いてもおかしくないが…、だが、これは単なる偶然なのだろうかー?