アメン王朝と天皇系譜

本編のテーマは草創の古代史の大筋の把握だが、闇雲な予想を調べているのではない。
日本に残された古文書が何を記しているのかー、である。
そして、偶然に見つけた天八下=アメンエムハト…である。
これは偶然なのか必然なのかー?
その確認のため、エジプト王と日本史の神々を比較していくことになる。

竹内文書の天皇

竹内文書には、五代天八下王の後、古事記に記されない神々が数人ある。
上古六代・天目降美天皇
上古七代・天相合美天皇
上古八代・天八百足日天皇
上古九代・天八十万魂天皇
このうち、上古九代・天八十万魂は、前述のアメンエムハト王に比定した…。
原文にはそれぞれに、訓読みだけのフリガナが付いているが、単に邪魔なだけ…、この漢字をどう読むかが問題だった。

 

七代・天相合=天合=アイ

この中の、上古七代天相合美…である。単に漢読みすると、「アメ・アイ・アイ」と読める。
たしか、エジプト王の十二王朝と十八王朝に、「アイ」と呼ばれる王があるが、コチラは「アイ・アイ」と繰り返している?
ところが、この疑問に真っ向から答えた文献があった。
前章で紹介した藤原氏の前身・中臣氏系図である。
それが、上記系図である。
この中の最初の天御中主から四番目の「天合尊」、これは、「天アイ尊」と読める。
竹内文書の天御中主から四番目が、「天相合美」であり、これは同一のものを記載した。
つまり、「アメ(天)のア(相)・イ(合)」と、二つの漢字を使って「アイ」と表記したもので、一文字(漢字)で一音を表す万葉ガナで忠実に記したものだ。

六代・天目降=天三下=アメミット

第十八王朝のアメンホテプ=天之常立男

探検協会の高橋良典氏は、その著書の中で、宮下文書に記された天皇系譜の中の「天常位比古神」が、エジプト十八王朝のアメンホテプ一世ではないかー、と指摘している。

宮下文書の天常位比古神とは、記紀で、天之常立神(あめのとこたち)と記された神であり、竹内文書にも上古十三代に「天之常立男」がある。
名前の「天常立男」の中の「常立=常に立つ」を「保立=立つを保つ」の同義語に入れ替えて読み下すと、「天→アメン・常立→保立→ホテ/男→夫→フ」と読み換えられる。

ここでは、カタカナと漢字だが、元々の文字は、ヒエログラフか神代文字だった。それが発音されて、一方はエジプト文字になり、一方が漢字で残されたのではないか。

十八王朝のトトメス=高皇産/神皇産

アメンホテプ一世からつづく王に、トトメス一世、トトメス三世とい
う二人の有能な王が登場する。

彼らは、大規模な軍事遠征を行い、西アジアからナイル川上流のヌ
ビア地方も従えて、エジプト史上最大の版図を獲得した。
この「トトメス」である。
竹内文献の上古第十代に、高皇産(たかみむすび)天皇、さらに、十
一代に神皇産(かみむすび)天皇がある。
この「高皇産」と「神皇産」は、どちらも→「コゥコゥムス」と読める。
これが、「クォゥ・クォゥ・ムェス → トトメス」と転訛したものでないかとも考えられる。
日本の古文書に記されているなら、十八王朝で有能な王として記録されたこの二人が記録されていない訳が無い。
以上で、日本の文献との比定は、都合七人ー、である。

アメンホテップ四世

この中で一人、竹内文書には記されているが、中臣氏系図、および、度会(わたらい)氏系図には載っていない王がある。
アメンホテップ=天之常立男~、である。
アメンホテプには、紹介した一世のほか、三世と四世がある。
アメンホテップ四世とは、ツタンカーメンの父親だが、この王には別名があった。
アクエンアテン…、

この名は、これまでのエジプトの守護神アメンではなく、一神教の絶対神アテン神である。
この王が、後世の世界に大きな影響を与えるものを残すことになる。