現われた七福神

酒井勝軍は16才の神官学校入学からクリスチャンとして人生をスタートした。
しかし、彼は単に聖書を妄信しているだけのクリスチャンではなく、真実の古代史を探求した。聖書の中の「東から現れる救世主(メシヤ)」を日本の天皇のことではないかと直感した。
ここから彼の研究はユダヤの古代史から日本の超古代史へと進んでいく。
「神秘の日本」は彼の晩年、昭和11年の竹内文献逮捕の年からスタートした月刊雑誌である。
昭和15年の彼の死の直前まで発行されたが、そのほとんどは当局から発禁処分を受けた。
その中から抜粋してご紹介してみたい。
これが書かれたのは昭和10年から15年にかけてであり、現在の国家体制ではなく明治以来の立憲君主制時代だったことを留意してお読みください。
また、彼の日本の古代史観には竹内文献が大きく反映しています。

●七福神とユダヤ史・・神秘の日本16号
正月に付き物の宝船ですが、この船に乗っているのは同時代の神様ではなく、いろいろな神様を一緒くたにして船に乗せたのは日本独自の発想のようです。

七福神は日本で生み出されたものではなく外国のものを帰化人が移設したものである。
七福神に酷似してものはペルシャ、エジプトにも残っているが日本で一番おもしろく宗教化されている。
酒井は、この七福神こそが世界統一の天空に出現する蜃気楼である、という。
すなわち、この七福神の観念をもっとも具体的に描き出しているのはユダヤ史であるとして、七人を下記のように対応している。
(  )内は一般に解釈されている事項。
酒井はこの七福神のうち最後の一人はまだ現れていないと記しています。


◆寿老人・・アダムイブ。

一般にはアダム(男)とイブ(女)の2人と扱われているが、これはアダムイブというひとりの男性である。
竹内文献は、ヨーロッパ地方の最初の王がヨイロバ・アダムイブという赤人だったと記している。
(道教の神で南極星の化身の老子とされている)


◆恵比寿(夷子ーエビス)・・ノア。
全世界を滅ぼしてもこの一家は貴しとして神に選ばれた。エビスは漁夫のようにみなされているが海の征服者、つまり、海神である。
エビスは釣竿を持っているがノアは尺度を持っている。エビスには鯛が付き物でノアには船が付き物である。
(「大漁追福」の漁業の神であり時代と共に福の神として「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす、商業や農業の神となった)




◆大黒天・・・アブラハム。
彼は全人類を殺しても彼の一家と一族は助けられなければならぬという神の思し召しを蒙った。イスラエル十二支族の生みの親であり、現在、キリスト教、イスラム教の祖として尊崇されている。彼は陸の征服者であり陸神である。
大黒は俵の上に座って小槌と大袋を持っている。アブラハムは天幕羊の群れを携えつつ長い杖を持っていた。大黒は三宝の化身と云われ、アブラハムは天地人合致の化身と云われている。
(インドのヒンドゥー教のシヴァ神と日本古来の大国主命の習合。大黒柱と現されるように食物・財福を司る神となった)。

◆毘沙門天・・・モーゼ。
モーゼは建国者であり軍人であり政治家だった。毘沙門天は盲目でビッコだったと言い伝えられるがこれは彼が財宝に無頓着で信仰に突進した性格を極端に形容したものでモーゼの性格、使命によく合致する。
(元はインドのヒンドゥー教のクヴェーラ神で、これが仏教の神のヴァイシュラヴァナ(多聞天)になり日本では毘沙門天と呼ばれる)


◆弁才天 (弁財天)・・・ダビデ。
ダビデはイスラエル帝国の初代王だが、詩聖、楽聖として知られ、軍人として職場に臨んでも武装せず武器を執らず、常に天佑の柔をもって人為の剛を制する信仰を支持していた。むしろ、女性的な人だった。
(七福神の中の紅一点で元はインドのヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー神。七福神の一柱としては「弁財天」と表記されることが多い)

◆布袋(ホテイ)和尚・・・イエス。
布袋和尚は乞食坊主のように見られているが弥勒菩薩の化身であり真理公道の体験者であり神に仕えることを知り財に使えることを知らない聖人だった。
イエスのことをキリスト教会では、平民の友とか、貧民の民、罪人の友にされているが、これは欧米デモクラシーの偽造である。
イエスは、神の国とその義を地上に敷設するために天下ったものである。
布袋和尚が肩に担いでいる布袋はモノを拾い集めるものではなく、「種を播くもの種を蒔かんために」の袋であり活ける神の国と教義を地上に植えつけるためのものである。
(唐の末期の明州に実在したといわれる仏教の僧)

以上の六人は既に地上に現れているが、最後のひとりはまだ現れていない。
ユダヤ教徒はこれを救世主(メシヤ)の出現として、また、キリスト教徒はイエスの再臨としてその登場を確信している。
ただ、ここまでに現れた六福神はすべてキリスト(救世主という意味。
イエスを指すがイエスだけを指す言葉ではない)である。
第七回目の降臨はイエスの再臨ではない。メシヤ(=キリスト=救世主)の降臨である。
このメシヤに該当するのが福禄寿である。

◆福禄寿・・メシヤ(救世主)
福禄寿の福は天、禄は地、寿は人を表わし天地人合致の新世界、新文明を意味したものである。
これを太古の日本でアミンと云った。(竹内文献の最初の神の名前はアミン)。
この神の名をユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、すなわち、世界の宗教がみなアミンを唱えている。
キリスト教ではアーメンと云い、仏教は、ナムアミ、という。ナムとは南無、ああ」という呼びかけでアミが神様の名前である。
お祈りとは、すなわち、メシヤの降臨を切望祈願している言葉なのである。
(道教の宋の道士または、道教の神で南極星の化身の老子である寿老人の別名または同一神とされる)


以上・・神秘の日本16号「出揃った七福神」より


聖書にはメシヤの降臨の前にハルマゲドンがあると記されている。
酒井の生きた時代は第二次大戦が始まる前だった。
当時の日本はアジア開放を名目に中国大陸への進出を図っていた。
酒井はそれが聖書のハルマゲドンに発展すると考えていたのだろう。
そして彼は、日本の天皇がこのメシヤであり、日本が戦争に勝利して天皇が世界を治めるのではないかと予見していたようだ。予見どおり戦争は起こったが、日本は勝てなかったしメシヤの降臨もなかった。


聖書にはメシヤの降臨以前に、2000年前に国を失ったイスラエルの民が自分たちの国を建国し、その後、ハルマゲドンが起こると予言している。
第二次大戦の勝利者たちはこの予言に応じて中東にイスラエルを建国した。こののち、メシヤの降臨までに起こることはハルマゲドンである。


聖書の予言どおりに世界を動かしている一団があるという。
予言が当たるのではなく、当たるように世界を操作しているというのだ。その一団がフリーメーソンという秘密結社だともいう。中東にイスラエルを建国したのは彼ら、フリーメーソンの意思であるとも言う。

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