アマルナの発掘
最も大きな墓地で十年近く調査が続いているが、これまでに四三二体分の人骨が発見された。うち、死亡年齢が判明した遺体の七割が三十五歳までに死んでいたという。
また、最近の情報では、遺骨の九〇%が七歳から二十五歳の若年層で、十五歳から二十五歳の骨格には、その多くに何らかの損傷が残っているというのだ。特に多いのが脊椎骨折で、かなりの重労働をさせられていたのではないかと推定される。墓穴には複数の人骨が乱雑に横たわり、死者を投げこんだような埋葬である。
アマルナに都があったのは、僅か十七年間だった。
アケトアテン(=テル・エル・アマルナ)が造られたナイル川東岸には何もなく、アテン神信仰のための新首都として建設された。
その建設は、アクエンアテンの治世五年目ごろ(紀元前一三四六年)に始まり、九年目(紀元前一三四一年)に完成したが、その二年前から首都として使われ始めた。つまり、十年ほどの期間で急ぎ完成さした都市だが、その規模は、ナイル川東岸に沿って約十三キロの領域に跨っていた。
建設を早めるため、泥レンガを多用して表面を磨いた建物がほとんどで、重要な建物では表面を地元産の石で覆っていたという。