●テル・エル(神の丘)の都市

テル・エル・アマルナ

エジプトのアテン信仰の都の名は、アテトアテン。
現在は、アマルナと呼ばれ、別名、エル・アマルナ、また、テル・エル・アマルナと呼ばれている。
接頭語の「テル・エル」のテル(Tel)はアラビア語で「遺丘」を意味し、エル(el)はセム語やヘブライ語で「神」を指す。
文中の「遺丘」とは、廃墟になった村落が、同じ土地で何層にも積み重なって出来た丘のこと。
テル・エルとは、神の丘を意味している。
同じ「テル・エル」の接頭語で呼ばれるのが、メソポタミアにあるシュメールの都市国家である。

シュメール都市

シュメールの都市国家には、
ウルク(Uruk)・ウンマ(Umma)
・エリドゥ(Eridu)・キシュ(Kish)
・シッパル(Sippar)・シュルッパク(Shuruppak)
・ニップル(Nippur)・ラガシュ(Lagash)
・ラルサ(Larsa)
などがある。

ウル=テル・エル・ムカイヤル

有名なウル(アッカド語) はウリム (シュメール語)とも云い、元来は、チグリス川とユーフラテス川がペルシア湾に注ぐ河口近くにあった。
旧約聖書のアブラハムはこの地の生まれといわれ、ここからカナンの地へ旅立ったとされる。
ウルは、テル・エル=ムカイヤル(ムカイヤルの丘)とも呼ばれる。

キシュ

この中に、キシュという都市があるが、着目はこの「キシュ」という名前である。
「キシュ」から「クシュ」への転訛は、どこでも起こり得る発音変化である。
キシュ(シュメール語 Kish)は、イラクのバビロン遺跡の東十二キロにあり、現代名は「テル・エル・ウハイミル」と云う。
シュメール王名表説話によれば、伝説の大洪水のあと、最初に王権が降りたとされる都市がキシュである。

キシュの歴史

キシュ市に人が住み始めたのは、紀元前六千年紀のことと云う。
初期の歴史は不明だが、紀元前三千年紀には、シュメール人やセム人達にとって特別な地位を持った都市として歴史に登場する。
この王朝を「キシュ第一王朝」と呼び、実際にキシュは大国の一つだったらしい。
シュメール王名表によれば、大洪水の後、最初に成立したのがキシュ第一王朝で、その後、キシュ代わってウルク第一王朝が成立した。
ーのち、アワン王朝→キシュ第二王朝→ハマジ王朝などが記されているが、歴史が神話と伝説の中にあった時代のもので、正確な年代は推定できない。
この中で、キシュ王朝は第四王朝まで続いたが、第四王朝の王ウル・ザババが家臣だったサルゴンに倒され、サルゴンがメソポタミアを統一して興したアッカド帝国に飲み込まれ消滅した。
これが、およそ紀元前二三三四年ころと推定されている。

シュメール人達は、キシュ王の地位に特別な意味を持たせていたらしい。
キシュ王という称号が、実際にキシュ市を支配下に置いていない王でも用いられていて、覇権的性格を持った王の称号として用いられた。
そして後には、キシュ王 (Lugal Kish)という称号が、世界の王の意味で使用されるようになったらしい。
このキシュの一派が、紀元前三千年紀にメソポタミアからアフリカへ移動して、クシュと呼ばれたものではないかー、これが本書の推定である。
キシュ(Kish)とクシュ(Kush)の呼称は、僅か一文字の違いである。

エジプトのクシュ

クシュ(Kush)は、現在の南エジプトと北スーダンに当たる北アフリカのヌビア地方を中心に繁栄した文明で、クシテ(Kushite)ともいう。
ナイル川流域で最も早い時代に発達した文明の一つで、クシュ人の国は、エジプト領域内への進入後に発展した。この始まりの時期は分からない。

日本列島渡来

クシュは、紀元前一八〇〇年頃から紀元前一三〇〇年頃のエジプトを支配した王朝で、天孫降臨で日本列島へ渡来した。
列島で名づけた地名が、「九州(クシュ)」である。
クシュは、九重とも久住とも書かれたが、本州ではクシュではなく「キシュ=紀州・鬼住」と書かれた。
これを転訛と考えたが、あるいはそうではなく、「キシュ」そのもので正解だったのではないかー。
そう考えるとー、「九州」とは、クシュともキシュとも読める漢字なのだ。

クシュとキシュ

九州(クシュ)はエジプトのクシュを意味し、九州(キシュ)はメソポタミアのキシュを指していたのではないかー。
シュメール王名表では、キシュ第一王朝だけでも二十三人の王が二万四五一〇年間統治したといい、大洪水以前にも十万年以上の初期王朝時代が記されている。
そうなるとー、メソポタミアのキシュが先だったのか、あるいは、日本のキシュ(紀州)が先だったのかー、も早、分からなくなってくる。

シュメールはスメル

シュメールのアッカド語表記は「Sumeru」で、この読みは、シュメールではなく「スメル」が発音に近い。
元々は、日本でも「スメル」と発音されたが、第二次大戦中、京大教授によって「シュメール」と長音の表示が為された。長音には何の意味もない。
当時、スメルの漢字表記には「皇」と充てられていた。これが、皇室不敬とされたからだと云うー。
「スがシュ」に、人工的に転訛したおかしな一例である。

インダス川の名前

インターネットで見ると、インドのインダス川の名称はサンスクリット語で、「スィンドゥ(Sindhu)」と記されてい
るが、州の名は「シンド州」として、川の名に由来するーと書かれている。
ーなら、「スィンドゥ(Sindhu)」は、なぜ「シンドー(Sindhu)」と書かないのか?
シュメールとスメルも、スィンドゥとシンドーも、少し頭を働かせば誰でもピンとくる話ではないかー。
スメルは「皇」で、シンドーは「神道」…なのか?
誰もが分かっていながら手を出さない…、古代史の何かに遠慮したものなのか。