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その一、四方位神

 四神相応(しじんそうおう)……、ご存じだろうか?
四方の方角を司る四神のことで、北の玄武・南の朱雀・西の白虎・東の青竜と云えば了解されるだろうか。

四神相応
通説にー、 
四神相応は、東アジア・中華文明圏で、大地の四方の方角を司る「四神」の存在に、伝統的に最も相応しいと信じられてきた地勢や地相のことを指す。
中国や韓国では、背後に山、前方に海・湖沼・河川の水(すい)が配置されている背山臨水の地を、左右から砂(さ)と呼ばれる丘陵、もしくは、背後の山よりも低い山で囲むことで蔵風聚水(風を蓄え水を集める)の形態となっているものをいう。
この場合の四神は、背後の山が玄武、前方の水が朱雀、玄武を背にして左側の砂が青龍、右側が白虎である。
中国の五神説では、四方位の真ん中は黄竜と呼び、聖獣は麒麟で表わされ、中央の地は四方位神で守られた重要な地である。

四神の概要

玄武(げんぶ)
玄武は、北方を守護する水神である。玄は黒を意味し、
黒は北方の色とされ、水を表わす。 脚の長い亀に蛇が巻き付いた形で描かれることが多い。
古代中国において、亀は「長寿と不死」の象徴、蛇は「生殖と繁殖」の象徴だった。
「玄武」の本来の表記は、発音は同じ「玄冥(げんぶ)」であり、(冥は陰を意味し、玄武は太陰神とされた) 北方神である玄武は北にある冥界と現世を往来して、冥界において「亀卜=亀甲占いの神託」を受けて現世にその答えを持ち帰ることが出来ると信じられた。

青龍(せいりゅう
青龍は、東方を守護する長い舌を出した龍の形とされ、龍の形をした瑞獣で川の流れを象徴する。
東に上る太陽と川は穀物の実りを助け、青龍は成功と出世・富を導くという。義に厚く弱きを助け悪を滅する神龍である。
青は東方の色とされ、青竜の季節は春とされている。
天文学上は、二十八宿の東方七宿に対応し、東方七宿(角宿・亢宿・  宿・房宿・心宿・尾宿・箕宿)をつなげて、龍の姿に見立てたことに由来する。

朱雀(すざく)
朱雀は南方を守護する神獣とされる。翼を広げた鳳凰(ほうおう)の鳥形で表される。鳳凰から生まれ、邪を焼き尽く
す炎をまとった神鳥という。中国古代では、朱雀は=鳳凰、同一起源説や同一視されることもある。 あくまで神格の
ある鳥で信仰の対象だが、いわゆる悪魔や唯一神・列神の類ではない。

朱は赤であり、南方の色とされる。

白虎(びゃっこ)
西は白をなし、白虎は西方守護する神で、青龍とともに邪を沈める神霊という。白虎は戦いの神でもあり、邪を寄せ付けず、災いを払い悪を懲らしめ善を高揚し、財を呼び込み富を成し、良縁を結ぶなど多種多様な神力を持つので、権勢や尊貴の象徴となっている。
白は西方の色とされる。

 平安京
平安京が、この四神相応の地になっている話は有名だ。
北の丹波高地を玄武、東の大文字山を青龍の砂、西の嵐山を白虎の砂、そして、かつて南に存在した巨椋池を朱雀(巨椋池は干拓されて現在は
存在しない)…と、このように四方位に対応しており、背山臨水を左右から砂で守るという風水の観点から、京都は四神相応の地だという。
 
また、東の青龍を鴨川、西の白虎を山陰道、南の朱雀を巨椋池、 北の玄武を船岡山に比定した説もあるが、いずれの説も「平安京が四神相応の地」を前提に比定している話であって、どの比定地にも、四神を示す証拠がある訳ではない。
この事から、四神相応ではなく、中国起源の都市風水による「三閉南開」の地形として、「三閉」を京都盆地の東・北・西の三方を囲む山地(東山・北山・西山)ではないかとも云い、必ずしも四神相応の地とは云えない。
だがー、奈良県で出土した古墳の壁面には、事実、この四方位神が描かれていた。
四神相応は、中国から伝来する以前から存在していたのだ。


さらに、日本列島には巨大な四神地名が存在した。
その中心に存在したのは……。
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