竹内文書の天皇系譜は⇒エジプト12王朝系譜
⇒不思議の古代史/上古編
■日本との関係は…
詳しく知りたい方は⇒古代史BOOK倭国誕生!
日本の古代歴史の大筋は
解けました⇒降臨以前の天孫たち/前後編
リンク⇒●竹内文献は偽書か?
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竹内文献とは?
この巨石遺構の存在を記した古文書が、じつは、日本に存在したのである。
その古文書を「竹内文献」という。
竹内文献とは、越中富山(富山市)の御皇城山(おみじんやまー現在の呉羽山)にあった、皇祖皇太神宮(こうそこうたいじんぐう)に伝わった古文書類である。
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皇祖皇太神宮
伝承によればー、 今から1500年前ー、紀元5世紀の日本。
竹内文献
時の天皇、25代・武烈(ぶれつ)天皇に仕えた大臣に、武内宿禰(すくね)の孫、平群真鳥(へぐのまとり)がいた。
正史日本書紀では、平群真鳥はクーデター計画が発覚し謀反人として殺されたと伝えられている。
だが、竹内文献では、このとき、真鳥は死んでいない。
当時、武烈(ぶれつ)天皇は、新興の勢力から日本古来の伝承を伝える文献の引き渡しを強要されていた。
天皇はこの文献を守るため、平群真鳥(へぐの まとり)を殺したと見せて実はひそかに越中(えっちゅうー富山県)へ落ちのびさせた。
この密命が、越中富山の御皇城山にあった、天神人祖一神宮(てんじんじそ いちじんぐうー皇祖皇太神宮)に伝わった古文献の守護だった。 この平群真鳥の子孫が竹内家である。
竹内文献には、奇妙な文字で書かれた古文書と、これも奇妙な機器類があった。この古文書をさして「竹内文書」といい、機器類を「御神宝(ごじんぽう)」といい、この総称を「竹内文献」と呼ぶ。
天之浮船
「竹内文書」は元は神代文字で書かれていたが、平群真鳥が、漢字・カナ混じり文に書き改め、竹内家ではこれを四代ごとに筆写し、代々、秘密裏に伝えてきた。
「御神宝」と呼ばれる機器類には、謎の金属「ヒヒイロカネ」で造られた皇室の三種の神器である鏡・刀剣、また、古代文字が彫り込まれた石や、天皇の骨で造ったという神骨像など数千点にも上るおびただしい量の物だった。
「竹内文書」には超古代の歴史が記されており、それは日本だけでなく、世界全体を対象とした地球規模の壮大な文明の存在だった。
日本の正史・日本書紀では歴史は神武天皇に始まる。
だが竹内文献では、神武天皇以前にウガヤ・フキアエズ朝72代、それ以前に25代・436世にわたる上古代があり、さらにその前にも天神7代の神の時代があったといい、過去3000億年にさかのぼる奇怪な歴史が語られていた。竹内文献によればー、
今から数十万年前の超古代の日本列島は世界の政治・文化の中心地であった。
そして、越の国、つまり、いまの富山県・神通川(じんつうがわ)の御皇城山(おみじんやま)を中心に、飛弾・乗鞍にかけた一帯が神話で云うところの高天原であり、すべての人類の元宮として建立された「天神人祖一神宮(てんじんじそ いちじんぐう」という壮大なパンテオンがあった。
世界の人々は、こぞって、この元宮にお参りに来たという。
ーと云っても、現在、みなさん方が神社にお参りするという感覚ではない。
つまりここに世界の統治本部があったといい、それがある場所を高天原と呼んだというのである。
高天原とは首都、世界の首都の意味だと、竹内文書はいう。
竹内文献をたどると、その中に浮かぶ世界がいかに驚くべきものかが分かる。
まさかー?そんな訳がー、空想だ!
誰もが、かならずそう思う。
そんな世界が広がっていくのである。
太古の神々は天空を超高速で駆ける「天浮之船(あめのうきふね)」と呼ばれる飛行艇に乗って世界を巡行したというのだ。
『ケサリ月円五日、詔(しょうー召して)して万国巡行、
大力勇神通力にて一日八千里、天空浮舟乗行給ふ。
又一日一万一千里行給ふ。時に万国五色人王、又尊者貴く、天神の御来光と云ふ拝礼す』
この記述が登場するのは、上古十八代・大斗能地王天皇(おおとのちおう・すめらみこと)の時代。
二月十五日に天皇が世界の巡行にお出かけになった。
一日に八千里、つまり、三万二千キロ、あるいは、一万二千キロを、天之浮船に乗って行かれた。
そして、世界の各地を訪れて礼拝された、というのだ。
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ヒヒイロカネ
竹内文献には謎の金属が登場する。
それは、火炎のゆらめきにも似て朱くかがやき、けっして、 錆びることのない金属。比重は金よりも軽く、その純粋な物は鉄よりも柔らかだが、合金すると、プラチナよりも硬くなるという、まぼろしの金属ーそれが、ヒヒイロカネである。
ヒヒイロカネで造られた茶釜で湯を沸かすと、木の葉数枚の燃料で湯が沸騰するというのである。
このヒヒイロカネは、カカコノ山で産出したという。
こういった金属が、伝説のアトランティスにもあったという。
それは、炎の金属ともいわれ、特異なエネルギーを放射したという。
近年のことだが、あの有名な宗教教団がこの伝説を信じ、岩手県の遠野町一帯の山中を探しまわっていたという話がある。
竹内巨磨(きよまろ)
この古文献を隠しもつ竹内家は、常に時の権力から弾圧されてきたと、竹内文書は記す。
徳川時代、前田家の所領となった時代には文献の提出を命ぜられ、それを拒んだところ神宮の所領は没収の憂き目にあい、竹内家は悲惨な生活に苦しんだとも記録されている。
この竹内家66代目にあたるのが、竹内巨磨である。
一代記「竹内巨磨(きよまろ)伝」によればー、
彼は、権大納言・庭田重胤(しげたね)の私生児といい、母は伊勢の神官の娘・奈保子という。
明治7年、奈保子は出産のため、越中富山に身を寄せ、翌明治8年元旦、男子を出生した。
これが後の巨磨である。
だが、その年の春、赤子を連れて桜見物に出かけての帰り道、暴漢に襲われて、母・奈保子は自刃して果てる。こうして遺棄(いき)された赤子は、婦負(ねい)郡神明村の竹内三郎右衛門に拾われ、孫養子として育てられた。
巨磨が、竹内家の秘密を明かされるのは、17才のときー。
1500年の長きにわたって封印されてきたが、世は文明開化の時代だった。
「この秘密を発表する時期かもしれない」三郎右衛門は、巨磨に宝物を託して世を去った。
神代文字
明治二十七年、巨磨は上京。
巻物を解読できる人物を捜し求めて、あちらこちらの神社を訪ね歩く。
そうする内、 御嶽教(みたけきょう)の官長・鴻雪爪(おおとりせっそう)から、 古文書の奇妙な文字が神代文字であることを教えられる。
だが日本には、日本古来の文字は存在しないというのが、本居宣長以来、日本の定説である。
しかし、のちの調査によれば、竹内文献には、じつに四百種類もの神代文字が伝わっており、竹内文献研究家の竹田日恵氏は、現代の世界各国の文字で、漢字とひらがなを除く表音文字のすべてが、この日本の神代文字から派生したものではないかと云う。
古代エジプトや、中東ヒッタイトの象形文字、ヘブライ文字からハングル文字、果ては、 ABCのアルファベットに至るまで、世界の表音文字のすべての文字の原点が、じつは日本の神代文字にあるというのだ。 これは平成の現代の話である。
巨磨は、御嶽教で修行を積みながら文献の解読につとめ、諸国をめぐってその傍証を求めた。
この間、巨磨は、京都の鞍馬山で修行し、霊能力を身につけたともいわれる。
こうして明治四十二年、茨城県の磯原で宗教結社「天津教」を設立し、祖父から預かった膨大な古文献をご神宝としてその普及活動に入った。
巨磨の情熱的な運動はじょじょに広まり大正時代の終わりごろには、貴族や軍部の上級将校から次々と ご神宝拝観の申し込みが来るに至ったのである。
日来神宮
このー竹内文献の中に、問題の「巨石遺構」に係わる記述があったのである。
それは、竹内文献に伝わった「御神宝」の中の御神体石(ごしんたいせき)に神代文字で彫り込まれていた。
『イヤヨ月円(まど)六日、 吉備常根本国
大綱手彦命天皇霊廟 亦ノ名メシヤ
日ノ神月ノ神 造主神日来神宮』
要約すると、
三月十六日に吉備津根本国(きびつね もとつくにー備前・備後の国をさす)に、大綱手彦天皇(おつなてひこ すめらみこと)の霊廟(れいびょう)を造ったと云うのだがー、
この文章の最後の一節に「日来神宮」という言葉が登場したのである。
なんと読むのかー?発音は、ヒラミット。
そうー、ピラミッド、なのである。
そしてこの大綱手彦命天皇の名前から文献をたどっていくと、ウガヤ・フキアエズ朝12代天皇の叔父に当たることが分かった。
竹内文献ウガヤ・フキアエズ朝12代天皇、時代は約2万2000年前という。
ウガヤ・フキアエズ朝とは、古事記では、神倭朝(かんやまとちょうー現在の大和朝廷)以前にあったとされる王朝で、記紀には一代だけあったと記されている。
⇒日本ピラミッド伝説・酒井勝軍
<書籍案内>
武田 崇元 /編集/定本 竹内文献¥7,800/八幡書店
<関連書籍ご紹介>
神代皇統譜、別記古文書、竹内家系図史料、南朝秘録、臣家古文書など、竹内文献の未公開文書をすべて網羅。
かつて越の国、御皇城山(おみじんやま)に宇宙の彼方から原形魂ハダマが漂着した。大空を翔る天之浮船…不思議なエネルギーを発する謎の金属ヒヒイロカネ…壮大な超古代伝承を核心とする竹内文献の神秘の全貌をはじめて公開する画期的な極秘資料集!
昭和46年に「神代秘史」全3巻として発売された竹内文献の元祖発行元が要約版として編集したものです。46年版は絶版となっているので、これが竹内文献を知るうえでもっとも原本に近いものです。
<注>⇒※竹内文書を研究されている方へ